2020年8月25日火曜日

怨念の晴らし方

甲子園の交流試合が全体としては盛り上がらないまま終了した。
まあそうだろうな。いくら熱戦を繰り広げても次につながらないから見ているほうはそれ以上はヒートアップしない。
でもこれで選手たちは、満員の観客の前でやりたかったろうけど、気はすんだと思う。高野連の幹部はやってもやらなくても叩かれるだろうから、どうせならやりたかったと語ったということだが、これは正しいと思う。
この半年、世界の何十億人が程度の差はともかくいろいろな悔しい思いや悲しい思いを募らせてきたはずだ。その怨念の総量ときたら想像を絶するものだと思う。この想いをどうやって晴らしていくのか。このまま死んじゃったら死ぬに死ねない、成仏できない。今はそこまで思い詰めていなくても、遠い将来ふと思い返して2020年本当はこんなことしたかったのにって眠れない夜を過ごすことがあるんだろう。
こういう時こそ宗教の出番だとおもうんだけど、いったい何をやっているんだろうか。

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