2019年12月31日火曜日

仕事納め

世の中のほとんどの会社と同様、今年は27日が仕事納めとなった。カレンダーの関係で平年より1日早い。
最終日はこれも良くあるように納会を開催する。
職場にもよるがかつては納会といえば1年でも最大のイベントで、午前中に掃除をして昼から若手は買い出しに行き、2時頃から飲みだして大騒ぎしていた。余興と言えば紙競馬。コンプライアンスがうるさい今なら考えられないが、現金が飛び交って一喜一憂していたものだ。
昔は良かったとかいう単純な話では決してないが、年5日の有給取得のため原則休め、という流れで静まり返っている今よりは楽しかったなあ。


とはいえ僕の仕事収めは銀行に合わせた30日。もっとフロアは静かだな。

2019年12月30日月曜日

健康保険被扶養者調書

組合員の数は減ってかつ高齢化が進み、かつ給与は伸び悩みで健保の財政が厳しいのは分かるが、鵜の目鷹の目で被扶養者の対象を減らそうとする健保の姿勢は常軌を逸している。
妻は派遣会社に登録して都合のいい時だけ働く日雇い派遣労働者なので、働かない月もある(家計上それもどうかと思うが、それはそれとして)ので、直近の給与明細書を出せと言われても出せない月もある。
と説明しても出してくださいの一点張り。どうやって? 世の中こういうアホのためにどれだけみんなの時間が奪われていることか。

2019年12月29日日曜日

二人きりのクリスマスイブ

二人だけのイブといっても60歳ともなるとぱっとしなくなる。さすがだ。
妻が急きょ帰省して息子と二人残された。息子もまことに残念ながらイブに用事がない。
男二人でどうするよ? と相談したあげく居酒屋でいいか、と。二人で鍋をかこんだ。こんな日に、と自分たちのことを棚に上げていうが、けっこう混んでいる。帰り道にコンビニでちっちゃなケーキを買って、Amazonのギフト券を息子にあげた。
まあ、上を見ればきりがない、下をみてもきりがない、とおばあちゃんが言っていた。その通りだ。

2019年12月28日土曜日

まだまだ続く

母の手術が出来るの出来ないの転院するのかしないのか等々で落ち着かず忘年会を延し伸ばしにしていたが、ようやく声をかけて開催。身近な人だけだったので和気あいあいと楽しく時間を過ごしたのだが、帰りの電車内で妻からLINE。義母が昨日体調不良で失神してしまったとか。今日は持ち直して風呂も入ったし買い物にも行ったとのことだが、失禁したというからただ事ではない。
もともと年金の手続きなどで年末に帰省することにしていたが、急きょ予定を繰り上げることにした。
ただ大人しく病院に行く人じゃないからなあ。説得には多大な困難が予想される。義父とは仲が悪いように見えてやはりいれば生活のはりになっていたのだろう。これからどうなっちゃうんだろうか。しかしあっちもこっちも。

2019年12月27日金曜日

大学病院

資料一式をもって大学病院へ行った妹から連絡。検査入院して診断してみないとなんとも、との前提付きながら手術を引き受けてくれそうだとのこと。
なんでも背中の半分くらいのながさの楔状の金具を取り付けるとか。リハビリ次第だが歩けるようになるはずだが、代わりにあぐらをかいたりかがんだりは出来なくなる。不便だろうけど寝たきりよりはましだ。
大手術だから相応のリスクはあるがやるしかない。
年明けに転院をとのこと。今いる病院から直接か、あるいは療養型病院経由からまだ不明。
しかし、すでに股関節はチタン製だし、どんどんターミネーターみたいになっていくな。

2019年12月26日木曜日

まだ諦めていない

清宮がリハビリ中だ。2年連続でケガでパフォーマンスを発揮できず悔しい思いをたくさんした。応援してほうも歯がゆかったが。
大学進学を止めてプロ入りした理由の一つが東京オリンピックへの出場。この秋も侍ジャパンにエントリーされたが、直後に右ひじ手術に踏み切ることが発表されておじゃん。
今の段階でオリンピック出場は荒唐無稽ともいえるが本人は諦めていない。そのつもりで必死にリハビリしている。オープン戦から打ちまくればひょっとしてひょっとするかもしれない。もし出場しても全く打てずに大恥かくかもしれない。それでもいい。がんばれ。

2019年12月25日水曜日

GSHOCKですら

春に息子にGSHOCKのスピードモデル(2台目)をあげて、なんだかんだと休みの日用の時計がなくて不便だ。
あれこれ物色したけど、結局スピードモデルが一番だよなと思いポチっとしようと思った。並行輸入で5000円前後かな。同じものを3台とは我ながら酔狂だ。
ただ今月義父の逝去でバイトができず出費だけがかさんでいる妻から、ピンチだから退職金をもらったらまとまった額を渡すと言っていたのを一部前倒しでちょうだいと言われた。
まことにごもっとも大変だね。
結局は振り込むことになるんだけど、漠然とした老後への不安がむくむくと頭をもたげる。今はいいけど調子こいているとあっという間に預金の底が見えて老後破産まっしぐら・・・
だからと言って何ができるわけでもない。今出来ることはせっせとクリックして塵を集めることと、健康でいることと、出費を抑えること。必要なもの以外は絶対に買わない。買う場合も最安値のものを。
とか考えだすと5000円のGSHOCKですら買えなくなってしまう。なんともぱっとしない。

2019年12月24日火曜日

母の再入院 2

午後有給休暇を取って主治医の話を聞く。MRIの画像を見たが、骨盤にちかい2か所で圧迫破裂骨折で粉々に。僕は階段から落ちて左ひじ粉砕骨折だった。まったく親子して。
ここは救急病院なのでこのような困難な症状の手術はできない。紹介状を書き画像その他一式を渡すので大学病院の整形外科で相談して欲しい。手術の可否は大学病院で検討するがもし行ったら5時間とかかかるだろう。この時期なので年明けになるだろうが、それまでは療養型病院へ移って欲しいと、想定通りの説明。月曜に妹が大学病院を訪れることに。
僕たちにとっては想定通りだが、正月は家に帰れるにちがいないと根拠なく思っていたらしい母は涙ぐんでいた。
手術に失敗すれば下半身不随または術中の死亡。放置したら寝たきり。チャレンジするしかないのだが重たい。

2019年12月23日月曜日

歯医者いったん終わり

母の見舞いのあと僕は歯医者へ。このところ各地の病院巡りだ。なんにももらえないけど。
今日は型取りした銀歯をかぶせて調整して、これでいったん終わり。20年ぶりの歯医者だから長期間通い詰めになることを覚悟していたけど、1本だけの治療で終わって、最近珍しくいい話だ。
春になったら歯垢のクリーニングと親知らずの虫歯の経過観察のためにまた訪れる予定。自分の歯で食べることは重要だ。

2019年12月22日日曜日

母の再入院

わずか中一日で逆戻りした母の見舞いに行ってきた。今度は整形外科病棟。
今日は座薬が効いているせいか落ち着いた様子。日曜の朝にちょっと食べたあと痛みでなにも口に出来なかったとのことだが、出されたご飯を看護士がおにぎりにしてくれてようやく食べることができたという。
当面は安静にして、その間に紹介状とカルテをもって大学病院へ手術の相談をしに行くことになった。相当に難しい手術だろうけど。年齢的にラストチャンスだろうから何としてでも受けさせないとこれからずっと寝たきりになってしまう。がんばれ。

2019年12月21日土曜日

祝 池江璃花子退院

白血病の治療のため入院していた池江璃花子が退院した。
本来なら選手として一番いい時期で臨めるはずだった東京オリンピックは断念し、4年後を目指す。
4年後とはいえ1年近くも運動していなかったし、まだまだ様子を見ながらの練習だろうから復帰するまでの辛さは想像を絶するだろう。
それでも、おかえり。良かったね。

2019年12月20日金曜日

しかしまあ

老親が次から次へと調子悪くなるというのは身近でもよく聞く話だけど。
つい数週間前まではみんな歳とってきたなと思いつつも平穏に過ごしてきたのがウソのような怒涛の事態。
まあそういうお年頃ではあるんだけど。この1年間で息子の大学進学、引っ越し、親の死亡・病気、定年と人生の節目がまとめてきた。こんなにまとまらないくてもいいだろうに。

2019年12月19日木曜日

同時多発テロ 2

明けて月曜日。母の携帯へリスクが少ない治療法を探そうね、大人しく病院へ行ってねとメールをした直後に妹から電話。
病院に連れて行こうにも車にも乗せられないくらい痛がってどうしょうもなくて救急車を呼んで、土曜まで入院していた病院へ搬送。
骨粗鬆症とリュウマチで骨がもろくなったことからの圧迫骨折で神経が痛むらしい。まずは安静目的で入院して脳梗塞の治療を優先して薬の服用を止めてしばらくしたら手術ができるかも、とのこと。
ふー。

2019年12月18日水曜日

同時多発テロ 1

911を比喩にするとはあまりに不謹慎だとは思うが、この年末は我が家の年寄りたちがいっせいに病気テロを起こしたようで、若手(とはいえ50台と還暦)は対応に追われている。
土曜日に母が退院してほっとしたのもつかの間。昨夜妹から母の腰痛が悪化してトイレに行くのもままならない。手術は絶対いや!と言っているけど、評判のいい病院を探して説得して欲しいと妹から電話。
確かに腰椎の手術は間違えたら下半身不随だから怖い。が、痛くて歩けない、血栓ができやすくなる、ロコモティブシンドロームの心配と放置していても寝たきりへ一直線だ。
にしても、入院中はさほど痛みを訴えていなかったけど、退院して自宅で(嬉しくて)動いているうちに悪化したのか?
手術するとはしても、高齢に加えて高血圧、不整脈、血液をサラサラにする脳梗塞の薬を服用と悪条件がそろっている。
こんな患者が外来で来てもおっかなくて手術するとは病院もなかなか言えないだろう。まずは今まで入院していた病院で相談して、手に負えないようなら他の病院への紹介状を書いてもらったほうがいい。嫌だと言っても明日病院へ連れて行ってと妹へ。
まったくあっちもこっちも。

2019年12月17日火曜日

喪中はがき 

例年通りとネットで年賀はがきを注文して到着の数日後に義父が逝去した。
となると喪中はがきに切り替えないといけない。買っちゃったのどうしようかと思ったら、こういう時は無料で他のはがきや切手と交換してくれるという。なるほど。
今まで気にしたことなかったけど、喪中はがき用のはがきを郵便局で売っている。喪中はがき用といって裏面に何か印刷してあったりするわけではなく、切手の部分が胡蝶蘭になっているだけだ。消印押されちゃうしあんな場所だれも見ないよとは思うがまあいいや。
職場に復帰した初日の昼休みにネットから落としたテンプレートに入力して版下が出来上がり。ただ図柄が蓮だったけど、神道は菊!と妻に叱られ(LINEで)、修正。週末に作って投函すれば逝去して1週間目くらいで到着するからいいでしょう。しかし忙しいな。

2019年12月16日月曜日

義父の逝去 4

そして11日。告別式。僕の妹も母の代理できた。11時に合流して斎場へ。ほとんどの人が通夜からいらしているので仕事としてはほとんどない。玉串奉奠も2回目なので昨日しくじった息子もなんとかこなした。
出棺(といっても火葬場とつながっている斎場なのでゴロゴロと台車を押して隣へ。これは初めての経験だ)して、火葬が終わるまでの間に食事。最後の骨を拾ったのだが、こればなんとかで、とか解説するのっていつも思うのだが悪趣味だ。自分の時にはああやってのぞき込まれたくないなあ。


ともかくこれにて一連の儀式は終わり、僕たちは帰京し、妻は残って膨大な手続き関連をこなす。こっちのほうがずっと大変だ。お疲れ様。そしてお父さんの冥福をお祈りいたします。思えば初めて会って、いきなり実はもう入籍しちゃったんですと話してから23年にちょっと足りない月日だった。至らない婿ですみませんでした。どうか安らかに。

2019年12月15日日曜日

義父の逝去 3

明けて10日。僕たちは通夜までやることがない。映画でもと思ったけど、この時期見事になんにもない。仕事をみんな途中で放ってきてしまったのでスマホでメールをみつつ職場とやりとりするくらい。あんまり暇なので散歩しつつ近海もののネタが安くて美味しいと評判の回転すし屋に出かけたくらい。
夕方斎場に到着。僕と息子は受付と預かった香典のチェック。なんだかな仕事で似たようなこと何回もやったことある。
義父の実家は神道なので神主さん到着。取引先関係なども含めて100回以上通夜とか出席しているけど、神式は初めてだ。YouTubeで玉串奉奠のやり方を予習して臨んだ。慣れない作法に緊張したのは僕だけではないはず。間違えてはいけないとドキドキだった。金勘定と玉串のおかげで仕事モードに切り替わってしまったので不本意だった。
義父にお別れの挨拶をして息子とホテルへ。何をしたわけでもないけど今日も疲れた。

2019年12月14日土曜日

義父の逝去 2

餅を喉に詰まらせて搬送されたと聞いた時にやっぱり妻と一緒に駆け付ければ良かったなと遅ればせながら思った。後悔先に立たず。
ともあれ娘婿なんてこういう時には基本やることがない。葬儀社で埋葬プランの打ち合わせをしているときに時折口をはさむくらい。夜中に起きて朦朧としている息子とあまり変わりはない。
どこの家でもそうなんだろうけど、あーでもないこーでもないとやりとりしつつも打ち合わせが終わり、妻と義弟は実家へ。僕と息子はホテルへ。夕方までぼんやりして、夜は居酒屋へ。じいちゃんに献杯と言いつつけっこう飲んで、意識がなくなるように寝た。
長い一日だった。

2019年12月13日金曜日

義父の逝去 1

12月9日月曜日の未明というか真夜中の2時半、病院から妻へ電話が入った。心拍数も血圧も落ちてきた。危篤です。
人間の耳というのは不思議なもので、熟睡していた僕は妻の声が大きかったわけでもないのにすぐに飛び起きた。
意識不明とはいえ前日まで容態は小康状態を保っていたのでしばらくは持つかと思っていたが。
妻が義母や兄弟等と連絡を取っている間に僕は新幹線の時間やホテルの予約と荷造。もうしばらくはと思いつつも前日に喪服の用意などをしていたので支度はすぐに終わった。そうこうしているうちに立ち会った医師からご臨終という連絡。どうして人は未明に生まれたり死んだりすることが多いのだろうか
ドタバタしているうちに、放っておけばいつまでも寝ている息子がさすがに目を覚ました。3人で6時前に出てコンビニに金を下ろして新幹線へ向かう。
車中で義弟と合流。妻と義弟は車中で打ち合わせを。僕と息子はうつらうつらしているうちに夜が明けてきた。
病院に8時半着。第一報が入ってから6時間。

イチローの草野球

前から報道されていたイチローの草野球の試合が行われた。草野球といっても場所はかつての神戸グリーンスタジアムだしブラバンは来てるしチアが躍るわ取材陣も山ほど。おまけにイチローはピッチャーで16K完封、打っては4打数3安打の猛打賞というガチンコぶり。素人相手になんという大人げない対応((笑)。
にしてもイチロー、楽しそうだったな。

ターゲッティング広告

たまたま訪れたECサイトとかの広告が追っかけてくるターゲッティング広告って本当にうざい。
買おうかなどうしようかなという気持ちがあってその広告がどうすか?って追いかけてくるくらいならまだ可愛げがある。
しつこいのは全然興味がない広告、しかもおよそターゲットとはかけ離れた人間に延々と追いかけてくる広告。僕に豊胸の広告がなんで絡んでくる? しかも時々間違えてクリックしてしまうからますますまとわりつかれる。ううう。

ようやく届いた

新品で購入したもののノイズが入っていたブルース・スプリングスティーンのCDの交換を申し入れてはや3週間。
いやはややっぱりアメリカは遠いやと半ばあきらめていた。2週間目で督促のメール(もう出荷したので待っててね)、昨日はAmazonから返品処理は終わりましたが?(まだ来ないぞ(怒))とやりとりはしていたが・・・
こんなに時間がかかるって船便? なんだろな。
まあともかく到着。通販でこんなに待ったのって何十年ぶりだろ。逆に新鮮。ノイズが入ってた曲だけ試聴してOKと返信メール。やれやれ。

2019年12月12日木曜日

金魚はいいな

目は開いているけどふわふわと漂って、明らかに寝ている金魚を見ながらつくづく思う。
脳梗塞にも餅にも無縁だし、学費の支払いも老後資金の心配もない。
何にも考えずに狭い水槽の中をぐるぐる回って、それに不満をいだくわけでもない。
いいなあ。

2019年12月8日日曜日

歯医者 3回目

今回はまた型取り。ここの先生、とても手際が良く、痛みも少ない。かつての歯医者って本当に野蛮だったと痛感する。
ただ、3つの診療台を目まぐるしく回って治療しているため、説明があまりない。歯医者なんてそんなものと言えばそんなものなのだが、妻の話だとさあ次はなんとかしますよ、こうしますよと逐次説明をしながら治療していくのが今や一般的だというから、あれ前回も型取りしたよなと思いつつもその疑問には答えてくれない。ただ前回とは違う仮のかぶせ物をしてもらってまたね、とのことなので前進はしているのだろう。

2019年12月7日土曜日

めがね昇天

つるっと手が滑って眼鏡を床に落としたら左右のレンズをつなぐ部分が真っ二つに折れた。
作ったのは20年以上前。とっくに度は合わなくなり、老眼も加わったので室内専用にしていた。
これだと遠くは全然役に立たないのだが、近くは老眼鏡の代わりになる。これはこれで重宝していたのだがあっけなく昇天してしまった。
代わりをどうしようと思ったが、これまた近視用には役に立たなくなっていたのを引っ張り出したら近くも見える。まあこれでいいか。

2019年12月6日金曜日

餅は怖い

義父が倒れて3日目。昨日の未明は生死の境をさまよったようだが、その後持ち直して自発呼吸、血圧も正常に。ただし意識は戻らず。何と言っても歳が歳なのでこの後の見込みについては医者も慎重にならざるを得ず明言しない。義弟は仕事の都合でいったん帰京するようだが、妻は病院に詰めている。見守ることしかできないのだが。
僕と息子もことあれば飛び出すつもりであれこれ出来ることは準備しているのだが、なんとも宙ぶらりんの状態で動くに動けず。
一つ確かなのはクリスマス近辺で訪問するという当初の予定は白紙になったこと。切符のキャンセルについて調べないと。
しかし妻の急な帰省旅費で賞与でちょっとは期待していた余裕分は見事に吹っ飛んだ。妻のPC購入は先送り。セキュリティの不安? しらん。

2019年12月5日木曜日

年賀状を注文

もう止めてもいんだけどなあと毎年思いながらも年賀状を注文した年賀状のやり取りはしてても顔を何十年も合わせていない人がたくさんいるし。大学時代のクラスメイトとかもう35年とか会っていない。もう会う機会はないのかもしれない。
現金が手元にあまりないことが多かったのでクレジット決済できる方法はないかと何年か前に探して、郵政省の直販サイトに注文している。5000円以上は送料無料。それはいいのだが、10枚単位でした注文できないので使わないのが毎年出てくる。余ったのは切手に代えるからいいんだけど、なんか損している気がしてならない。来年から郵便局の窓口でキャッシュレス決済が始まるから端数も買える。ネット通販で入手するのもこれが最後か。
と書いているうちに義父が倒れたという知らせ。さてさてこれからどうしたものか。

2019年12月4日水曜日

命がけの餅

母の容態が落ちついてほっとした(ただ、今まで無縁だった血圧や不整脈が入院してから出ているのはやはり脳梗塞の影響か。ちょっと心配)ら、今度は義父が緊急搬送されたという知らせ。こちらはもっと深刻で、餅を喉に詰まらせたという。蘇生はしたものの心肺停止の影響で脳にダメージがあったらしい。東京から妻と義兄が駆け付けたが、未明には痙攣を起こしてあわやという感じになったらしい。その後小康状態になりICUから一般病棟に移ったが、予断を許さない。
最近めっきり足が弱り土曜日も室内で転んでデイサービスを休んだばかり。体力が弱った状態で餅を食べるなんて命がけだ。
年末年始に老人が餅を喉に、というニュースを頻繁に聞くがこんな身近で起きるとは。本人も他人事と思っていたのだろうが。
ともかく意識が戻ることを祈るしかない。

2019年12月3日火曜日

電気あんか

もっと体重があったころは気にならなかったけど、去年あたりから冬になると寒くて眠れなくなった。
電気毛布は大げさだし、湯たんぽはいちいちお湯を沸かすのが面倒。探しているうちに出会ったのが電気あんか。
これえらく安い。600円とか700円とかで買った。こんな値段で大丈夫なの?というくらい安い。ランニングコストも月数十円。
ニクロム線を暖房に使おうという発想がどれくらい昔からあったのかしれないけど、そのころから構造は何も変わっていないのだろう。
この安いのが役に立つ。温度調節は最弱で十分だ。押入れから引っ張り出してああ冬になったなあと実感した。

2019年12月2日月曜日

賞与

社会人人生最後の賞与支給がまもなく。目標管理シートの自己評価に最後だからいいやと真ん中の評価を入れたらそのまま通ったのでありがたく頂くことにする。まあずっと業績が悪いのでしょぼしょぼの金額ではあるが。
最後の力を振り絞って妻のPCを買い替えてあげようか。自分のスマホも欲しいんだけどなあ。むりか。

2019年12月1日日曜日

年末

毎日あーでもないこーでもないとぶつぶつ言いながら、ひたすらクリックしてポイントを稼ぎながらもう年末だ。21世紀になって20年もたつのにぱっとしない。手の中でなんでもできるスマホができても、空飛ぶ車がちょっとだけ実現しても、未来って案外地味だった。だいたい50年ぶりに月に人間を送り込もうという計画がアポロ計画の焼き直しってどういうことなんだろうか。司令船に機械船、着陸船って。もう少しわくわくさせて欲しいなあ。


とぶつぶつ言いつつ年賀状の手配をしなくては。引っ越しの連絡をさぼったからそれも兼ねないと。